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※ジョン・クレイグ John Craigはニュー・ジャージー州 State of New Jerseyのキーポート Keyportで造船業を始め、燃え尽きた船体から2隻の新しい船を作った。そののち、1866年にミシガン州 State of Michiganに移住する前に、メリーランド州 State of Marylandのウィコミコ・クリーク Wicomico Creekで全く新しい船を建造した。彼の最初のミシガン州の造船所は、デトロイト川 Detroit Riverの河口のすぐ近くにあるジブラルタル Gibraltarにあり、そこで21隻の船を建造し、1883年にトレントン Trentonまで遡上した。しかし、この場所は十分な広さではなかったため、1890年にふたたびトレド Toledoに移転。1906年にジョン・クレイグは引退し、息子達はトレド造船所 Toledo Shipbuildingを地元の投資家に売却。アメリカン・シップ・ビルディング社 The American Ship Building Company(アムシップ AmShip)の経営下では、1930年まで現役の造船会社として活動したが、そののちは、第二次大戦中に2隻の砕氷船を建造した以外は修理と改造に限定されていた。終戦後、アムシップはこの地を買い取り、アムシップ・トレド AmShip Toledoと改名。アムシップは修理・改造事業に専念し、1982年にアムシップが閉鎖されるまでの間に12隻の船と4隻の船体を建造。そののち、この物件はトレドルーカス郡港湾局 Toledo-Lucas County Port Authorityに返還され、そののち、トレドルーカス郡港湾局は後続の船舶修理業者に賃貸している。現在のテナントはアイアンヘッド・マリーンIronhead Marine。Googleでここの航空写真を見ることができる。造船業の血が流れていたジョン・クレイグの息子達は、カリフォルニア州 State of Californiaのロング・ビーチ Long Beachで(新)クレイグ造船 (new) Craig Shipbuildingを設立し、のちにコンソリデーテッド・スチール社 Consolidated Steelの造船所の一つとなった。興味深いのは、1861年にジョン・クレイグが始めた船体番号のシリーズが、トレドではトレド造船とアムシップ、ロング・ビーチでは(新)クレイグ造船とコンチネンタル・スチール Continental Steelによって継続されたことである。クレイグ造船の生産量については、いくつかの情報源があるが、これらの情報源のどれもが完全に一致しているわけではないことに注意。リンク先の表の項目はすべてMVOTUSを中心とした同時代の文書に基づいている


Update 25/09/27